2007年2月26日

旅行二日目 2/26

近くの人のいびきがうるさかったが、そこそこ良く眠れる。別室にsnore room(いびきの間)という部屋があって、いびきをかく人は、本当にこの部屋で眠らなければならないらしいらしい。しかし、実際そんな細かいことを気にする場所でもないと思った。
食事は有料で、5000ウォンくらいで文字通りおなかがパンパンになるくらいまで食べられる。朝もビビンバ定食を食べた。韓国旅行で思ったことだが、米はやはり日本米が一番うまい。もっとも、韓国では白米を食べるよりもビビンバのような炊き込みご飯を食べることが多かったが。
そして7:50分の電車に乗るために駅に向かう。約一時間の乗車でわずか1400ウォン(140円、JRの十分の一くらい!)しかかからなかった。日曜日ということで車内は空いていた。ソウルから離れるにつれ、華やかさもなくなり、次第に夕方のニュースでやっている北朝鮮のような風景に近づいてきた。

Dorasan(都羅山)駅到着
ソウルから56キロ、平壌まで205キロの駅に到着した。ツアーが始まるまで、この駅で待たなければならないのだが、はっきり言って、田畑というか土地しかない場所だった。お土産を買おうにも、コンビニは休みだし(祝日なのになぜ? 閉店?)、自動販売機で飲み物しか売っていない。東北地方か北海道のど田舎みたいな感じがした。
この駅はおそらく軍か国によって厳格に管理されているのだろう。なぜか公衆電話がない。ひょっとすると、怪しい行動をすると逮捕されるかもしれない。このツアーに参加するチケット(11400ウォン)を買う時に、身分証明書(私の場合パスポート)を提示しなければならない。そして、それにパスすれば一人一人チケットを渡され、ネックストラップでそれを吊るす形になる。その後、プロの軍人が再度IDチェックとボディチェック(空港と同じようなチェック)を経て、北上するための専用列車に乗る。すでに、窓から見える風景はテレビで見たことのある北朝鮮そっくりである。この電車を降りてから、下手に写真を撮るのはまずいらしい。とりあえず、ここはおとなしくしておくことにした。
このツアーのサービスにはこの電車代も含めて、バスとガイドの費用が含まれる。日本で言うバスガイドさんはおらず、若干無愛想な運転手が運転しながらガイドも兼ねるというスタイルだった。Kyoung Juneさんいわく、この辺はあまり説明するものがないため(確かにそうだ)、運転しながらでもできるということである。
私が見た限り、このツアーに参加していた日本人は私だけだった(もしかすると中国人がいたかもしれない)。後で第三トンネルで外国人(欧米人、南米人)を見ることもあったので、おそらく彼らは外国人が参加する向けのツアーに参加していたようだ。このツアーは私営企業が企画しているわけではないので、どことなく軍隊のにおいがする、というか軍隊である。スケジュールは非常にハードで、ゆっくり観光もできやしない。日本でこんなことをやれば苦情が殺到するような忙しさだった。
38度線沿いは基本的に非常に殺風景である。人が住むエリアではないため、荒地という表現がふさわしい。観光ガイドでは、この国境周辺はさまざまな種類の野生動物が生息しているらしい。その理由はおそらくただ単純に人が住んでいないからだろうが、やたら誇張しているのが朝鮮中央テレビっぽくて記憶に残っている。
いずれにせよ、ここは間違いなく私が日本で見ることができない場所であり、テレビで見る雰囲気とは違った独特の緊張感が漂っている。軍人がツアーに参加し、手伝いをしているなど、日本のすぐ近くの国で全く異なる経験ができるのは貴重だと思った。
空港から車で送迎されている時にSo Yangさんに、「どうして38度線に興味がありますか? 日本人がそんなことに興味があるとは思いませんでした。面白いですね。」と言われた。確かに、観光地らしい華やかさは全くない。むしろ戦場に近い環境に触れられるのが面白いかもしれない。私の祖父(第二次世界大戦を経験)だったら喜ぶだろうか。

南進第三トンネル
ここで、この観光地(実際は平和に見える戦場だが)の紹介のビデオを見させられる。なぜか日本語での通訳サービス(ヘッドフォンのレンタルがあり、日本語訳が流れる)があるので、日本人の観光客も少なくないのかもしれない。このショート・フィルムは、なぜこのような国境ができてしまったのか、というある種の大河ドラマみたいな内容だ。韓国戦争(日本では朝鮮戦争と習う。詳しくはこちら)の貴重な映像や離散家族など、非常に興味深い内容だった。この映画は結構金がかかっており、ナレーションも映像もなかなかのクオリティだった。冬のソナタより面白いはずだ。
Kyoung Juneさんは北朝鮮が作った4つのトンネル(韓国に侵入するための地下通路)にショックを受けていた。「どうして北朝鮮はそんなことをするんですか」と嘆いていたが、博物館によるとそんなものを作ったのは世界でも北朝鮮だけだということだ。その意味では、確かにそんなことを考え付くのも、ましてや実行にうつすのも北朝鮮だけなのだろう。ちなみに、この博物館も日本語の翻訳があるので、韓国語ができなくても心配はいらない。
実際に第三トンネルを歩いて、古いジェットコースターみたいな乗り物で進む。インディジョーンズみたいな感じだが、進行方向に対して後ろ向きに座らなければならない場合もあり、安全のためにヘルメットの着用が義務付けられており、かつトンネル内はジメジメしていて暗いため、観光地らしい雰囲気ではなかった。
この後バスでコンビニみたいな場所に行き、ランチを食べ、お土産を買う。海鮮鍋のようなものを食べた。何となく父の実家盛岡市の古い食べ物みたいな感じがした。

オドゥサン第一展望台
厳格に管理された場所から、望遠鏡で少しだけ北朝鮮を見ることができる(有料)。確かジャニーズの嵐の誰かがここに来たことがある。繰り返すが、本当に殺風景な場所だ。本当に何もないので珍しいといえばそうなのだが、何もないものを日本人が金を払ってみたいと思うかと言われると多少返答に困る。ただ、この緊張感が特別であることだけは確かだ。
この展望台でのわずかな時間を終え、バスに乗っているといつの間にか「ツアーに参加してくれてありがとうございました」といった終わりのメッセージがバスガイドから伝えられた。板門店(国境ぎりぎりの村)に行かなかったことに気が付いた。これは次の来韓国時に行くことにする。

釜山到着
ソウルでホストファミリーのお土産を買ってから、KTXで釜山に戻る。帰りに、Kyoung Juneさんに韓国語でも擬音語は二回繰り返す(うさぎの「ぴょんぴょん」は「かんちゅんかんちゅん」というらしい)ことを教わる。中国語でも確か似たような言葉があるらしいので、また東アジア語の共通点を発見した。
Kim家のお父さんが釜山駅まで迎えに来てくれ、家で一緒に食事をする。ソウルから帰ってくるとなぜか長男の英語が信じられないほど達者になっており、通訳としてはほとんど問題はなくなっていた。これが国境を見てきた男のすごさなのだろうか。お父さんの軍隊時代のことや、38度線の雰囲気や私の大学院生活などを話して、まあまあ盛り上がった。
この二日間で約1500キロ(大阪→釜山→ソウル→釜山)を移動し、案外疲れた。Kyoung Juneさん、時刻表を調べてくれたり、新幹線車内でのトークや通訳など全てにかむさはむにだ。

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