2007年2月28日

旅行四日目 2/28

8時半起床。
朝ごはんを食べ、ホストファミリーと一緒にHadanの図書館に行く。
Hadan図書館(どんさがん)は平塚市立図書館と同じくらいの古さで、それほど日本の図書館と違いはない。ただし、地下一階がレストラン兼カフェ(お洒落な雰囲気はない)になっていて、弁当を持ち込んだり、ビビンバを注文して食べたりと、図書館なのにエネルギッシュではあった。
なぜか子供たちが日本語を学び、私が韓国語を学ぶ設定になっていた。ホスト・ファミリーは全員で日本語コーナーを探して、何冊か日本語の本を借りていた。私も図書館で日本から持参した韓国語の入門書を少し勉強した。
帰り道、私は車のナンバープレートを見て、「ま」とか「た」とかを発音して、韓国語の練習をした。そのたびに、家族の誰かしらが立ち止まってアドバイスをくれた。しかし、違法駐車天国の韓国にはあまりに車の数が多く、まだ私が覚えていない文字も少なくなかったので、ちっとも前に進めなくなってしまった。よって、途中で挫折する。
ランチは近くのお店で麺類(冷麺)を食べる。約500円と安くて量が多く、美味しい。
帰宅してから買い物に連れて行ってもらい、市場でお土産用にするめなどの海産物を大量に買う。計47000ウォンも買い、この旅行最大の買い物をした。
帰宅してから、次男(7歳)に韓国語の発音を学び、発音テストを監修してもらう。韓国語の発音はどことなく中国語と似通っている部分があるが、文法的には日本語と非常によく似ているので、日本人は単語を覚えてしまえば何とか韓国語会話ができてしまうと思う。ただし、はじめのうちは、発音とハングルがとっつきにくいかもしれないが。
夕食はLeeさんのお宅で3家族、合計9人が集まって食事をした。Lee家は、熊本県で一年間生活したことがあって、実はあまりキムチのような辛いものが好きではないらしい。彼女の作る料理は、薄味の日本食を思い出させた。何だか日本に帰ってきたような気分になった。
先日Zim Chil Bangに宿泊したことを話して、日本と韓国のプライバシーの感覚について話した。たとえば、韓国の一般的な家は、玄関を開けるとリビングが丸見えになっていることが多い。一方の日本は、プライバシーを重んじるため、見えない作りになっていたり、カーテンなどで中が見えないようになっていることが多い。私は長らく一人暮らしをしてきて、特にこの2年間の大学院はまともな人間関係がないくらい勉強が忙しかったので、Let me alone(一人にしてください)という気持ちになった、と彼らに話した。
我々子供世代は、私が日本から持ってきた電子ダーツで遊んだ。李ファミリー対金ファミリー(プラス私)の対抗戦をした。ダーツをやるには広いスペースが必要だ。李さんのアパートは比較的広いが、ダーツを設置する手ごろな場所がなかったので、先祖代々伝わっていそうな額縁(何か重要そうな言葉が書いてあった)を外し、そこにダーツをセッティングした。ご先祖様に対して無礼な気がしたが、他人の家なので黙っていた。
ダーツは大人の遊びだと思っている。実際小学生にはダーツの投げ方が難しいのか、野球のボールを投げるように振りかぶって投げてしまうので、なかなか正確に的に当たらない。子供たちにダーツの投げ方(土台をしっかりさせるようにひじを固定して、ひじから上だけをぶれないように振りぬき、ダーツは必ず一定の決まった場所で放つ)を教えたものの、12歳でもなかなかその動きは理解できなかったようだ。
501といったダーツらしいゲームをやろうとKyoung Juneさんに言ったが、それは子供たちには無理ということで、普通にカウントアップ(300点とか決められた点数に早くなった人の勝利)で遊んだ。このルールで4戦して我々の3勝1敗だった。子供たちがそれほどうまく投げられたわけではないものの、家族対抗戦ということもあって、このゲームは非常に盛り上がった。このプレゼントは大正解だった。やはり娯楽に乏しい韓国では、日本のおもちゃは受けるのだろう。
そして、次の日からKyoung Juneさんは毎日のようにダーツを投げているらしい。またいつか対戦しましょう、という約束をした。彼がダーツを気に入ってくれたのはとても嬉しいが、例の先祖代々伝わっていそうな額縁がどうなってしまったかは私の知るところではない。
一方の母親世代は、我々がダーツを投げている間に、3人で何をしていたかというと、食事の片づけをして、何か真剣に話し込んでいた。私は子供のことでも話していたのかと思っていたが、どうやら私が"Let me alone"といった感覚について、日本に滞在したことのあるLeeさんから話を聞いていたようだ。私の「一人にして」という言葉は想像以上に彼女らに衝撃的だったらしい。
今思うと、私(日本人)がそんな感情を持つのだということを知って以来、ホストファミリーのお母さんも少し行動が変わったような気がしないでもない。私が論文を読んでいたり、ハングルを勉強している時には、そっとしてくれていた。それでも、私がハングルで間違った発音をすると、隣の部屋から大きな声で訂正してくれた。何だか、ますますゲスト扱いになってしまったような気がした。
明日はChun Aeさんのお宅でディナーをご馳走になり、その勢いで泊まることになった。それほど大きくない家に祖父母、彼女、子供二人、私の合計6人(プラス犬一匹)が眠るらしい。彼女は私が先ほどプライバシーについて触れたことを心配し、騒々しい場所だから無理しないで来なくても良いのよ、とおっしゃっていた。
韓国の子供はみんな元気だし、日本に帰ればまたすぐに一人暮らしが始まる。さらに、誘っていただいたのは彼女のお父さん(我々の世代からすれば祖父)であり、彼は日本語も喋る大の親日家だということだ。私はそんなお誘いを受けられること自体がありがたいことだと思うし、今脳卒中で植物人間状態の祖父に恩返しができなかったことなど、断る理由が全くなかった。

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